- ゆっきー監督
ゆっきー監督のサブカルチャー談義12
今回のサブカル談義は反省の意を込めてこちらの作品がテーマです。

日本、というより世界の文学界でも屈指の売れっ子作家、村上春樹先生の「騎士団長殺し」です。
2017年刊行の最新書下ろしの長編です。
実はこの「騎士団長殺し」に関して、僕は以前他者様のサイトで、コラムを書かせていただいたことがありまして。
その時(今春)は正直、あまり好感度が高い論評を書くことができませんでした。
というのも、この作品を初めて読んだ時、あまり良い印象を持たなかったからです。
僕は個人的に春樹先生の大ファンです。全作品読んでおり、かなり造詣も深いと自負しております。何が好きかと言われれば三日三晩考えてしまうほど、全作品を愛しています。
「春樹メタファー」との付き合い方も独自の見解をもって、作品と心地よく付き合わせていただいております。
春樹先生の大ファンではありますが、それ以上に春樹先生自身がファンのアーティストが僕も好きという関連性が、僕を「ハルキスト」にしてしまったのかもしれません。(春樹先生の作品はカフカやデビッドリンチなどの影響が色濃い)
さて、そんな大ファンの僕ですら、初見時はやや首をかしげてしまうほど、この騎士団長殺しはいわくつきの作品でした。
従来のハルキストは多分全員が同じ印象を持ったでしょう。
「何だよ、春樹作品のオールスターズじゃないか」と。
あくまで初見では、今まで書いてきた全作品のエキスを抽出して薄めて書いたような印象だったのです。
ねじまき鳥の井戸、世界の終りの地下世界など、モチーフ自体も似ていることもあり、いわば色んな作品の焼き増しを現代技術で蘇らせたような印象
それが騎士団長殺しの初見時の感想でした。
春樹作品は従来、はっきりとしたエンディングをむかえないことが多かったのですが、1Q84以降は(といっても数作品)明確に描いています。
今作騎士団長殺しもはっきりと結末を描いています。
ところが、このきちんとしたエンディングもまたお粗末だったかな、と。
1Q84や多崎つくるほど巡っても掘ってもいないにも関わらず、そこにエンディング(妻が余計)がやってくる
ねじまき鳥や世界の終り、海辺のカフカほどの神秘性もない
というのが率直な感想でした。
ところが、です。
つい最近、なぜか気になってもう一度読み返してみたんです。
すると印象は一変しました。
もちろんモチーフやメタファーの使い方は春樹節一色ですが、まず主人公が「絵描き」という設定自体が深みを与えています。
これは主人公が絵描きじゃなければ、到達しえなかった深みです。
絵描きの一人称で語られるので、もちろん絵描きの視点を越える物語はありえません。
そしてその絵描きの視点と、これでもかと常にカメラで接写しているような緻密な描写の文体が織りなしている効果に驚きました。
モチーフにとらわれていて、そこまでの効果に初見時は気付くことができませんでした。
だからこそ、今回は「絵」をテーマにしたのだとはっきり分かる必然性がそこに感じられました。
騎士団長殺しとは、ある「絵」なのですが、この絵を主軸に物語は展開していきます。
そしてこの小説自体もまた「騎士団長殺し」だったのだということが二度目で分かりました。
村上春樹作品において謎解きはタブーですから、ロジックでの解体は、いつもながら意味はありません。
あなたはゴッホやピカソの絵を見た時に何をどう感じますか?
その瞬間性を、小説にしたのがこの騎士団長殺しです。
さらにいえば、メタファーが具現化しているのも今回の大きな特徴です。騎士団長はもとより、スバルの男、自殺願望の女などが現実に存在しているのは、今作の大きなテーマとなっているでしょう。
従来のメタファー的存在は、どこか非現実な存在でしたが、今回はきちんと現実に存在しています。これは今作のキーとなる特徴です。
ねじまき鳥や世界の終りと比較してしまうのは、無理もないことではありますが、この作品を読む時は従来の作品とは別物と思わなければ多分、春樹先生が描いた世界を堪能することはできないでしょう。
かくいう僕も数か月は堪能していなかったわけですが…。
あえて春樹作品でベストを挙げろと言われれば、僕は「羊をめぐる冒険」を挙げますが、あれは初見でも充分に堪能できました。
海辺のカフカもそうです。
読んでいるだけでワクワクしました。引き込まれました。
今作騎士団長殺しは、そういう意味では初見向きではないのかもしれません。
いつもの作品のように何かを喪失した主人公、不思議な穴、寡黙な美少女、謎の紳士、など、オールスターが勢ぞろいですが、微妙にそして常に「ピント」がずれています。
さっきも言いましたが常にカメラで接写しているような緻密な描写のわりに、どこかぼやけているんです。
このずれが初見でいつもほどワクワクさせてくれない理由です。
そしてそのずれこそ、きっと「騎士団長殺し」の傑作たるゆえんです。
それもそのはず。作中に出てくる「騎士団長殺し」という絵画そのものが、ピントがずれているようなものなのですから。
このピントのずれを神業のような技術で、書き上げているのはお見事という他ありません。
この小説は村上春樹のただの手癖ではありません。
考え抜き、技術を結晶化した結果、手癖のピントを微妙にずらしたのです。エンディングのその時まで。
その感覚で読み進めると、あまり気に入らなかったエンディングも、素直に納得することができました。
そう考えて読むと、恐ろしいほどに傑作でした。
とはいえ、二度目でもどうしても「妻」だけには共感できませんでしたが、これは単に僕の個人的趣向にすぎないので、たいして作品自体の価値には関係ありません。
初めて読んだ時はまりえちゃんにも、やや首をかしげてしまいましたが、まりえちゃんが現実的である理由も二度目でよく分かりました。
村上春樹の「騎士団長殺し」
村上春樹を初めて読む人には全くおススメできませんが、ファンならば、もう一度腰を据えて読むことをおススメします。
村上春樹を初めて読む人は…何がいいんでしょうね笑。
海辺のカフカか1Q84、なのかなあ。スプートニクや国境もいいかもしれません。羊物語を読むなら、風の歌から読まなければいけませんしね。
とにかく騎士団長、ねじまき鳥、世界の終り、この三つだけは、いきなり読むのはやめた方がいいでしょう笑。
でも「騎士団長殺し」は傑作です。