- ゆっきー監督
ゆっきー監督のサブカルチャー談義1
最終更新: 2018年2月23日
どうも、ゆっきーです。記念すべき初のサブカルチャー談義です。
早速いきましょう。
記念すべき初回はこちらについて語ります。

ガルシアマルケスの「百年の孤独」
これほど難解で、かつ、これほど売れた本は古今東西ないかもしれません。
ガルシアマルケス。1928年生まれのコロンビアの作家。2014年死去。82年にはノーベル文学賞を受賞しています。
この「百年の孤独」は1967年発行全430ページほどのガルシアマルケスの代表作です。なんとスペイン語圏では「ソーセージ並みに売れた」らしく、帯にも書いてあるとおり、全世界で3000万部数以上を誇る傑作中の傑作です。
と書くと、誰にでも愛されるような深い感動を呼ぶ作品に思えますが、とんでもない。僕が読んだ限り、これほど難解な作品には滅多に出会えません。当時どうしてこれが大衆文化に溶け込み、みんなに愛されたのか、今でも全く理解できません。さすが60年代の芸術センス、としかいいようがないです。こんなレベルのものを日常的に読んでいたら、その辺にいる小さな子供でさえ、芸術センスは磨きに磨かれることでしょう。
率直にいって、この作品を読み切るには相当な忍耐力と集中力が要されます。かくいう僕も、読み切るには半年ほどかかりました。
さらに言うと、初めの百ページほど読んで、一度投げ出した有様です。何が面白いのか、さっぱり理解できず、しばらく読むことが苦痛でした。
ネタばれしない程度に説明すると、この百年の孤独は「ブエンディア一家」についてただひたすらに描写しています。はっきりいって物語はただそれだけです。
「マコンド」という街を創設した初代ブエンディア「ホセ アルカディオ ブエンディア」とその妻「ウルスラ」から始まり、息子の「ホセ アルカディオ」と「アウレリャノ ブエンディア」
さらにその息子たちの「アルカディオ」と「アウレリャノ ホセ」
さらにその息子たちの「ホセ アルカディオ セグンド」と「アウレリャノ セグンド」
そこへ「アウレリャノ ブエンディア」の子供「アウレリャノ」が17人もいたことが発覚。「アウレリャノ セグンド」には「ホセ アルカディオ」と「ウルスラ」という子供ができて…。
…。
…どうです?すでに意味が分からないでしょう?実際は娘たちもいるので、まだまだこんなものではありません。
まずこの「ブエンディア一家の名前」ですら覚えるのが困難です。特に日本人には馴染みがない名前ばかりで、初めに書かれている「家系図」を参照しないと、誰が誰なのかさっぱり分からない。なぜ自分の子供に祖父や叔父の名前を付けるんだ!と、幾度となくマルケスを呪うことになります。
さらに時間軸が、なんの前触れもなく変わったりと、読み始めた初期に一回は確実に読者は置いていかれます。下手すると10ページももたずに、本を閉じてしまうかもしれません。
単純に名前だけでも大変なのに、時間軸は飛び、さらにそれらが機械のような精密さで描写されているので、長くて複雑な迷路を彷徨っているような感覚になります。
当然これに耐えないと、この「百年の孤独」がなぜ傑作なのか、永遠に理解できません。
僕がこの迷路を理解したのは200ページ、つまり約半分ほど読んだときです。淡々と綴られていくブエンディア一家から僕は一度逃げ出しました。100ページほど読んで、3、4か月放置したのです。正直読んでいるのが苦痛でしたから。
しばらくして、途中で投げ出している気持ち悪さから、再びブエンディア一家に立ち向かう決意をした僕は、少しずつ読み始めました。
すると、です。100ページを越えると「あ、この本はこういう本なのか」と少しずつ理解が深まっていきました。この本の主役は「ブエンディア一家」ではなく、「マコンドという街」なのだと気づきました。
街自体がキャラクターなのだ、と気付くとそこからはどんどん心に「百年の孤独」が浸透していきました。淡々とした文体が心地よく、くせ者ばかりの「ブエンディア一家」がとても愛おしく感じられるようになったのです。
そうしてある決定的なシーンに遭遇しました。とある人間が「昇天」します。とても不思議なシーンです。なのにドラマティックな演出を徹底的に排除し、淡々と正確に、緻密に、描写されていることで、僕はついに「百年の孤独」の核心に迫ったことを実感しました。このシーンは250ページほど読むと遭遇します。
ここからはもう怒涛の如く読み進めエンディングでは、涙を流すといった感動ではなく、「心が根幹から震える感動」を体感しました。あの感動は生きている間で、そう出会える感動ではないでしょう。その後三日は心はずっと「百年の孤独」一色でした。ブエンディア一家に会いたくて、ペラペラとページをめくることもしばしば。これはもう「ブエンディア病だ」と僕は思いましたよ。
あまりに深い物語。面白いという形容詞では測れない価値。これはもうただ深い、としか言えません。深淵なる神話です。
このガルシアマルケスの作風は「マジックリアリズム」と称されています。そして私ゆっきー監督がチーム西の森で作る作品(ユーチューブ以外)は全てこの「マジックリアリズム」に影響されています。
正確に言うとガルシアマルケスが影響された作家に僕は影響され育ったのです。
いずれここで話すことになりますが、カフカ、フォークナー、ジョイス、などは「マジック」と「リアリズム」を作品投影した先駆けです。特にフランツカフカは、僕が世界で最も愛する作家のひとりです。
彼らの美学を吸収したマルケスは、さらに独自の美学を研ぎ澄まし傑作を書いた。それがこの「百年の孤独」なのです。
この作品は今の日本ではインテリが読む本、といった印象を受けます。
そしてこういった素晴らしい作品がそういう偏った扱いをされると、僕は非常に腹立たしい気持ちになります。
確かに読むのは困難です。でもこの山を登ると、確実に新しい景色が見えます。インテリの慰み物にしておくのは、もったいないです。文学の知識なんて全くない女子高生辺りにぜひ読んでもらいたいですね。
もし、何か骨太な本を読んでみたいと思っている人がいるなら、本屋で、こっそり「百年の孤独」を開いてみてください。小難しい奴だと感じるでしょうが、真剣に付き合うといい奴ですよ笑。
きっとそこにはあなたがまだ出会ったことがない「感動」があります。
余談ですが、現時点でのチーム西の森制作映画の最新作は尊敬を込めて「一年の孤独」というタイトルです。もちろん「百年の孤独」から引用させていただきました。当然内容は全くの別物ですが笑。
では、二回目のサブカル談義でお会いしましょう。
#ガルシアマルケス #百年の孤独 #チーム西の森 #ゆっきー